あの日たどり着けなかった場所
東日本大震災から、5ヶ月が過ぎました。この期間を短いと感じるか、長いと感じるかは、見ている方の判断にお任せしますが、気づくとそんなに過ぎているんだな、というのが率直な感想です。ただ、そろそろ片付きつつあるので、3/12 にはいけなかった場所もいけるのではないか、と思い向かいました
浜街道へ向かい産業道路を走っていると、罹災した自動車の集積場がありました。集約するまでできるようになった、という見方ができる一方で、搬出するまでは至っていない、という思いもありました。
仙台市営バス岡田営業所です。この距離では、特に壊れていないように見えますが、
営業所の建物には、はっきりとした傷跡が残っています。給油機もずたずたにされていました。3/12 の段階では、ここまで入ってくることはできませんでした。この先に、通っていた教習所(地震前に業務終了しています)がありましたので、このあたりの風景にはなじみがありました。
教習所跡地のすぐとなりの家です。津波により一階部分に被害を受けた模様ですが、ベニヤでふさいでいることから、住人の方が生存されていると思われます。二階部分で生活を行っているのかもしれません。
先の写真のすぐ隣のお宅です。こちらは津波の傷跡が生々しくのこっており、割れたサッシもそのままとなっています。住人の方はすでにいらっしゃらないように感じられます。
3/12 に写真を載せていた某コンビニ跡です。ベニヤで塞がれています。中の状況がわかるだけに、痛々しく感じます。
上記のコンビニの駐車場に止まっていたトラックの残骸です。コンビニの破損状況からすると、ここにあったというよりは、流されてきて、ここに残ってしまった、というところでしょうか。
3/12 には、ここから約 100m 先までしか来れず、道路が冠水していました。今からはそんなことがあったとは思えないかもしれませんが、周りの景色がそのままではないことは容易に想像できます。
写真の先には、本来松林が茂っているはずでした。そもそも、このあたりには複数の住宅があり、それらによって、松林さえ確認できないはずなのです。それらがすべてなくなっていることから、津波はストレートに入ってきたことが容易に想像できます。
荒浜の交差点から東方向を撮影したものです。住宅の基礎のみが残っている状態で、土台柱から上は、すっかりなくなっています.。山元町で見た風景は、こちらでも変わりませんでした。
ここにはセブンイレブンがありました。しかし、店舗があったことを知るのは、以前の風景を知っている方のみ、とさえ思われます。
向かい側には、コスモ製油のスタンドがありました。しかし、鉄骨の骨組み程度しか残っていませんでした。
このあたりは遮蔽物もなく、襲ってきた津波をさえぎるものはありませんでした。だからこそ、広大な水田が広がる地域であり、水稲農家が多数生活をされていました。しかし、住宅はもちろんですが、生活の糧となるべき水田も塩害により作付け不能に陥っており、被害の大きさをいまだに雄弁に物語っています。
先の交差点から先に進んだところです。家が流されている、ということですが、実はこれは2階部分になります。手前の下側付近に三角形に色が変わっているところがあります。ここは、一階の屋根がつながっているはずのところです。一階がどうなったかは、このあたりも基礎しか残っていないことから、押して知るべし、ということになります。
震災から5ヶ月が経過し、残骸の片付けはだいぶ進んでいました。しかし、まだまだ完了には至らず、人々が戻ることができる状態ではありません。これほどの大きな災害から復旧するのは、果たしていつのことになるか、見通しがあるようでないようにも感じました。早い復興が望まれる一方、どうすれば復興できるのかわからない、という現実の壁を感じています。



































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