2024年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

あの日たどり着けなかった場所

 東日本大震災から、5ヶ月が過ぎました。この期間を短いと感じるか、長いと感じるかは、見ている方の判断にお任せしますが、気づくとそんなに過ぎているんだな、というのが率直な感想です。ただ、そろそろ片付きつつあるので、3/12 にはいけなかった場所もいけるのではないか、と思い向かいました

110731_161201

 浜街道へ向かい産業道路を走っていると、罹災した自動車の集積場がありました。集約するまでできるようになった、という見方ができる一方で、搬出するまでは至っていない、という思いもありました。

110731_161701

 仙台市営バス岡田営業所です。この距離では、特に壊れていないように見えますが、

110731_161801

営業所の建物には、はっきりとした傷跡が残っています。給油機もずたずたにされていました。3/12 の段階では、ここまで入ってくることはできませんでした。この先に、通っていた教習所(地震前に業務終了しています)がありましたので、このあたりの風景にはなじみがありました。

110731_162101

 教習所跡地のすぐとなりの家です。津波により一階部分に被害を受けた模様ですが、ベニヤでふさいでいることから、住人の方が生存されていると思われます。二階部分で生活を行っているのかもしれません。

110731_162102

 先の写真のすぐ隣のお宅です。こちらは津波の傷跡が生々しくのこっており、割れたサッシもそのままとなっています。住人の方はすでにいらっしゃらないように感じられます。

110731_162301

 3/12 に写真を載せていた某コンビニ跡です。ベニヤで塞がれています。中の状況がわかるだけに、痛々しく感じます。

110731_162401

 上記のコンビニの駐車場に止まっていたトラックの残骸です。コンビニの破損状況からすると、ここにあったというよりは、流されてきて、ここに残ってしまった、というところでしょうか。

110731_162601

 3/12 には、ここから約 100m 先までしか来れず、道路が冠水していました。今からはそんなことがあったとは思えないかもしれませんが、周りの景色がそのままではないことは容易に想像できます。


110731_162701

 写真の先には、本来松林が茂っているはずでした。そもそも、このあたりには複数の住宅があり、それらによって、松林さえ確認できないはずなのです。それらがすべてなくなっていることから、津波はストレートに入ってきたことが容易に想像できます。

110731_162801

 荒浜の交差点から東方向を撮影したものです。住宅の基礎のみが残っている状態で、土台柱から上は、すっかりなくなっています.。山元町で見た風景は、こちらでも変わりませんでした。

110731_162902

 ここにはセブンイレブンがありました。しかし、店舗があったことを知るのは、以前の風景を知っている方のみ、とさえ思われます。

110731_162901_2

 向かい側には、コスモ製油のスタンドがありました。しかし、鉄骨の骨組み程度しか残っていませんでした。

 このあたりは遮蔽物もなく、襲ってきた津波をさえぎるものはありませんでした。だからこそ、広大な水田が広がる地域であり、水稲農家が多数生活をされていました。しかし、住宅はもちろんですが、生活の糧となるべき水田も塩害により作付け不能に陥っており、被害の大きさをいまだに雄弁に物語っています。

110731_163401

 先の交差点から先に進んだところです。家が流されている、ということですが、実はこれは2階部分になります。手前の下側付近に三角形に色が変わっているところがあります。ここは、一階の屋根がつながっているはずのところです。一階がどうなったかは、このあたりも基礎しか残っていないことから、押して知るべし、ということになります。

 震災から5ヶ月が経過し、残骸の片付けはだいぶ進んでいました。しかし、まだまだ完了には至らず、人々が戻ることができる状態ではありません。これほどの大きな災害から復旧するのは、果たしていつのことになるか、見通しがあるようでないようにも感じました。早い復興が望まれる一方、どうすれば復興できるのかわからない、という現実の壁を感じています。

東日本大震災の記録 その2

 土曜日に実家に行ってきました。前回の実家行きでは、通行できなかった浜街道が通行可能になっていたので、通ってきました。

Ca3g0182

 浜吉田付近です。右側に見えるのが、常磐道(山元IC=亘理IC)です。右手側にひっくり返っている小屋は、もともと道路東側にあったものですが、津波により押し流された物です。

Ca3g0183

 道路を通行していたと思われるトラックが、津波に流されてしまった様です。これだけの車を押し流してしまう津波の威力が想像つきません。車両が電柱を押し倒していることで気づいたのですが、この道路の西側には電線が走っていたのですが、ここまでの間には、電線が走っていたことがわからない状態となっていました。

Ca3g0184

 津波で押し出されてしまった車です。海水をかぶっているので、再び利用できるようにするには、かなり難しいと思われます。

Ca3g0185

 交差点のすぐ脇でした。このようなことになってしまう、自然の力の恐ろしさを感じます。

Ca3g0186

 浜吉田駅の先です。津波の直撃を受けたため、一階の建物半分が失われており、残っている部分も、浸水したことにより、使用不能と思われます。

Ca3g0187

 一見すると、裏の下屋のみが崩れているように思われます。

Ca3g0193

 表からみると、一階部分は崩壊状態で、かろうじて、建物の外観が残っている状態で、とても使える状態ではありません。このように、家の形が残っているものでも、とても利用できる状態ではありません。

Ca3g0192

 少し引いて撮影したものです。トラクターがひっくり返っている場所は、イチゴを育てているパイプハウスがあったはずの場所です。残っている骨材が、かろうじてパイプハウスがあったことを示している状態です。

Ca3g0189

 何もかもが津波に流され、水が引いて、ゴミだけが残っている状態です。記憶が正しければ、ここは本来畑になっていたはずでした。奥には、防風林があり通常は海は見えないのですが、津波がなぎ倒してしまい、海が見えるようになっています。

Ca3g0190

 なにも残っていない状態です。

Ca3g0191

 一階の一部がなくなっています。

Ca3g0194


 松林の間隔が広くなっていることから、津波の威力が推し量ることができます。この先、道の両側には、このような風景が続いていました。この先の道の東側にあるLawson は、奥の壁ごと流されていて、天井と骨組み以外あ存在していない状態でした。西側にあるセブンイレブンは、裏は抜けていないものの、流木などが大量に入り込んでいました。駐車場が広いため、警察車両のバスが停車していました。

Ca3g0196

 坂元駅の南側です。あるのは瓦礫のみです。当日は、各県からのレスキュー隊および救急車部隊による、捜索作業が行われており、本来は浜街道をまっすぐにいけば、5分ほどで中浜小学校があるのですが、そこまで入ることはできず、迂回となりました。

Ca3g0197


 磯浜漁港入り口から、北西部分に向かって撮影したものです。水路の右側には、本来複数の家があるのですが、すべて流されています。かかっていた橋は落とされ、写真の右側にある防波堤は崩れていました。

 この日の目的の一つ出会った友人に無事あうことができたのは、午後5時でした。話をきくと、津波は20mにも達していたそうで、23m の高台に逃げ延びた方の足元まで、津波が迫ったそうです。津波への対策として防波堤はありましたが、とても対応できるような波ではありませんでした。

 中浜から磯にかけての地区は、建物らしいものはほとんど残っていません。残っていても、鉄骨の骨組みくらいで、それさえも飴細工を曲げたかのようになっており、自然の脅威をまざまざと見せつけられました。

 あまりの悲惨さに、言葉を失いました。これまでも地震が何度もありましたが、津波らしい津波もなく、正直1〜2mくらいのものだろう、と高をくくっていました。しかし、実際には20m という想像もできない巨大なものが押し寄せ、早くに避難をしていた方のみが助かったとのことでした。

 多くの犠牲者の方の冥福を祈るしか、今の私にはできません。復興という言葉も、この地では使うことができる状態は、いつくるのか、想像もできません。

 

地震の記録(3月13日)

 目覚めて、最後の Larson 100ブランドの大盛りご飯&大辛カレーで朝食をすませると、車に載りました。実家に向かうためです。高速道路は利用できないということで、津波に襲われた沿岸部がどうなったか確認する意味で、浜街道で実家に向かうことにしました。

Ca3g0170_2

 浜街道にあった、Lawson が無残な状態となっています。津波は店舗後ろから襲ってきたのですが、引き波により、内部までズタズタになっています。

Ca3g0171

 浜街道をすすんでいったところ、仙台荒浜の十字交差点直前で道路がなくなりました。本来、ここはまっすぐに須長っている道路ですが、わずかに見える車止めが、ここがかつて道路であったことを示しているくらいで、どこの海辺かといわれてもおかしくない状態です。建物という建物は崩壊しており、津波の威力がどれほどであったか、あまりの酷さに、想像ができないほどです。

 ここから先は進むことができないため、方向転換し、高砂まで戻りました。岡田付近の道路もとても通れる状態ではなく、引き返す以外の選択肢がありませんでした。地震から3日がすぎているとは到底思えない光景でした。

 高砂の橋を越え、45号線から4号線に南下し、実家に無事到着しました。実家の被害は、大きなものはなかったのですが、電気が再開していないことから、父の使っている酸素吸入機が使用できず、外出用のボンベを使っている状態でした。さらに、水道が不通になっており、生活用水の井戸水を使おうにも、電気がきていないことにより、用水ポンプがまわらない、という状態に陥っていました。酸素を使用しているために、火を使う暖房器具の使用ができず、電気コタツに頼っていたことも、仇となり、暖房もままならない状態でした。生命には影響がないとはいっても、かなり厳しい状態になっていました。なにもできないまま、実家を後にせざるを得ませんでした。

 帰り足で、地元の津波の被害がどうなったのか、不安に感じ、六号線まで出てみました。その風景に唖然とさせられました。

Ca3g0172

 国道6号線から東側をみた風景です。本来は防風林で海が見えないはずなのに、それらがすべて津波でなぎ倒されてしまい、はっきりと海が見える状態となっています。奥に見える家屋も、一見するとそのまま残っているように見えますが、内部はズタズタになっており、被害の酷さに、言葉を失いました。

 奥に跨線橋が見えます。本来は駅舎で見えないはずなのです。しかし、津波によりながされてしまっています。さらに、なぎ倒された木々が津波で押し込まれ、六号線のすぐ側まできているのです。

Ca3g01751_2

 先に水面が見えなければ、ここが用水路であったと気づくことはないでしょう。この用水路の脇を通って、津波は町場まで襲ってきました。

Ca3g0176

 国道6号線に迫った津波は、そのありあまる勢いで、なんと、六号線を乗り越えて行きました。左側のサファリの先で、ガードレールがへし曲げられています。この先に民家があったのですが...

Ca3g0177

 通行中の車両が押し出されて、田んぼの中でひっくり返されています。奥の民家にも大型トラックがぶつかっていました。正直、六号線が土盛りしてあるため、被害が出てもここまでだろうと思っていたのですが、そのような考えをあざ笑うように、津波は押し寄せたようです。

 実のところ、津波が押し寄せた地域には、友人が住んでおり、安否が非常に気になりました。しかし、避難所になっていた坂元中学校には、避難されている方があふれている状態で、とても友人を探すことはできませんでした。無事を祈りながら、地元を離れました。その後、友人と無事連絡が取れ、無事出あることがわかりました。

 今回の地震および津波の被害は、予想をはるかに上回るものでした。水がひいてから見ている私でさえそうなのですから、被害を受けた方々には、どれほどの恐怖であったか、想像さえできません。今回の災害で亡くなった方々の冥福をただただ祈るしかありません。

地震の記録(3月12日)

 目覚めてから、台所に向かったところ、カラーボックス上においていた電子レンジおよび炊飯器が転げ落ちていました。また、窓枠においていた棚が崩れ落ちていて、食器入れの上に被さっていました。電子レンジと炊飯器および棚を元の位置に戻し、朝食の用意をはじめました。幸い、我が家は LPG だったため、煮炊きするには、なんとかなりました。一昨日に購入した徳用餃子をフライパンで焼き、買い置きしていた Larwson 100 ブランドの大盛りご飯を湯煎で温め、朝食をすませ、車で会社に向かいました。前日に、私の部は出勤するように話を受けていたことと、前日から泊り込む人がいる、という話があったためです。車にのり、ようやく暖房が使え、ラジオを入れたところ、沿岸部では津波も生じたことがわかりました。

 会社に到着したところ、人のいる気配がありません。自動ドアを手で開き、中に入ったところ、誰もいないのです。どうやら、泊り込みの番はせずに、全員帰宅した模様でした。冷え込んだ室内で、ストーブをつけたかったのですが、さすがに自分だけのために点火するのは躊躇われたので、他の人がくることを待ちました。

 8時すぎに、自宅も近い管理職が出勤してきました。が、その後人がくる様子はなく、9時をすぎてもこなければ帰ろう、ということになったのですが、そういう話をすると、なぜか人が来始めるという、不思議な状態でした。

 数名が出勤したので、若干の片付けを行ったのですが、電気がこないため、電話も使えないことから、10時過ぎに散会となりました。何人か送ることになるかな、と思っていたら、道路が混雑しているということで、それぞれの方法で帰ることになりました。車できた理由の一つに、実家の状態がどうなっているか、ということがありました。会社を離れて、実家へ向かったのですが、河北新報社前から、全ての車線に渋滞列ができていることがわかり、燃料の浪費を避ける意味で、自宅に戻ることにしました。

 昼過ぎに自宅に戻り、買い置きしていたカップラーメンを食し、どうなるのかなあ、と途方にくれていました。とはいえ、そうもいってはいられないので、自宅を片付けはじめました。片付けを終えて、日がくれる前に、蕎麦を茹でて夕食とし、日暮れとともに就寝しました。CPAP が使えないため、2時間起きに目が覚めてしまい、十分な休息とはなりませんでした。

 本当であれば、情報がほしいところでした。しかし、電気がないため、携帯も使えないことから、情報を入手する方法がない状態でした。車に載れば、カーラジオを聞くことはできましたが、今後への不安から燃料はとっておきたい、という心理もあり、控えました。

地震の記録(3月11日)

 3月11日は、ちょうど角田へ出張に向かう日でした。かなりの早朝出発なので、通常は車を会社近くの有料駐車場に止めるのですが、週末なので、よるにさらっとのむか、などと考えて、少々辛かったのですが、バスにて出勤しました。高校の卒業式も終了したこともあり、道路はすいていたお陰で、概ね予定通りの出発となりました。

 出張そのものは順調に終わり、会社には午後2時に戻ってきました。途中でとんかつ定食(ご飯×3、キャベツ×2)を食していたので、会社についてから、仕事をするのがなかなか厳しい状態でした。折りしも、私の課は、上司が休んでいたので、前日までの激務への骨休め、などと考えていました。そして、その時を迎えました。

 最初は(また揺れているな)と思う程度でした。とりあえず、目の前の PC を押さえて、揺れが収まるのを待っていたのですが、胸にいれていた携帯から通常とは違うアラームが鳴っていることで、(これは大きな地震なのか)と考えながら、自席から移動して壁際のレターケースと書棚が倒れないように押さえていました。視界には、机の上の PC が乱舞している状態が見え、書類などが散乱していく模様が映し出されていました。

 揺れが一段落したとき、会社の照明が消えました。わずかに残っている明かりは、非常用照明であり、停電したことはすぐにわかりました。外に避難していた人間が戻ろうかとしたとき、揺り返しがきました。

 第二波が収まってから、とりあえず周りの片付けをして、その日は散会となりました。帰るといっても、道路は大渋滞となり、信号機は消えているので、残るは二本の足だけしかありません。幸い、5km ほどの距離なので、歩いて自宅戻りました。

 自宅にはいってすぐの部屋では、LCD モニターがラックから落ちており、PC 本体は LAN ケーブルに支えられる形でラック上に残っていたので、自宅も相当に揺らされたことがわかりました。さらに奥の PC 部屋に入ったときには、唖然とさせられました。

 AV ラック上に設置していた REGZA は、液晶面が空を向いていました。接続していた USB ハードディスクは、部屋の中央部まで飛ばされていました。REGZA の両側に設置していたスピーカーも、手前に放り出されていました。さらにはラック内の CS チューナーのとなりに設置していた USB HDD も外に飛び出していました。

 PC ラックは手前に倒れていました。窓の桟に引っかかったため、45度の位置で止まっていましたが、最下段にいれていた GX270 および自作 Tower が放り出されており、その上にあった LCD モニター二枚は、ケーブルによって支えられている状態にあり、棚に設置していた ThinkPad G41、X40 および PiXUS iP4700 は部屋の中央に放り出されていました。自宅サーバーの 770Z は、LAN ケーブルでかろうじて止まっている状態となっており、ラック上の 2TB の共有ディスクおよび USB HDD(HD-Q1.0TSU2/R5)も投げ出されていました。(マシンと HDD は駄目かもしれない)と正直感じました。

 罹災当日は、帰宅時間も遅かったため、放心状態でとりあえず眠りにつきました。CPAP が使えないため、2時間起きに目覚めるものの、窓から差し込む月の光だけが明かりとなるため、何をするにもいかず、星の位置で概ねの時間を図る状態でした。携帯はすでに電池切れとなっており、たのみの外付け電池は完全放電状態で、連絡をとることはもちろん、情報を得ることもできないまま、長い夜を過ごしていました。

新年あけましておめでとうございます。

 すでに10日近く立とうとしていますが、遅ればせながら。

 なかなか筆不精で、更新がままならなくなってすいません。

SPAM 公開します。

 SPAM メールが届きましたので、公開します。なお、私はモバゲーにアクセスしたことさえないので、ユーザーであるはずがなく、ましてや、会員情報をもっているはずなのに、その名前をいれてこない時点で、真っ黒判定ですね。

---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
ユーザー様

お世話になっております。
モバゲーポイント管理事務局の和田です。

現在モバゲーに登録されている年数が2年以上経過いたしましたので、現在の獲得ポイントが\56,700になっております。
さらにポイントが3倍になる権利が当選いたしました!
当サイトのポイントはスグに現金に換金もしくはサイト内でのショッピングをすることができます。

http://kaywemh.net

詳細登録がまだお済みになっていないお客様はお早めに登録をお願い致します。

http://kaywemh.net

==========================
モバゲーポイント管理事務局
担当:和田
==========================
【完全無料広告】
http://sahjklk.net
お金で解決出来る問題ならココ!


写メ・ムービー完全無料♪
http://sduycxt.net
出会い支援型コミュニティ

淫乱って悪いコトなんですか?
http://hp-b.com/m/r20/index.php?media=11234

---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 ご注意下さい。

鉄っちゃんって何ですか?

 鉄道旅行は好きです。
 無期限パスがほしいです。
 銀河鉄道管理局に就職したいです。
 廃線後は大変気になります。
 気動車を見ると、ロマンを感じます。
 ロングシートは未読処理に助かります。
 JR のダイヤ表は、なかなか読み応えがあります。
 ブルートレインがなくなってしまったことを憂慮しています。
 北斗星には、必ず載ります。一度は。
 くりでんは、営業期間中に乗車しています。


 ええと、鉄っちゃんって、何でしょうか?私は違いますよ。単に鉄道旅行が好きなだけですよ。向かい側にメーテルがいてくれれば、命をかけても守りますが何か(爆)。

携帯のない世界

 久しぶりに、携帯電話を自宅に忘れて、出勤しました。出発直後に、持っていないことに気づきましたが、なくても困らないだろう、と思い、取りに戻るまではしませんでした。自宅に戻った時に、一体何件の着信があるか、見物ですね。たぶん0件だとは思いますが(笑)。未読メールは、片手を越えるでしょうね。

 携帯電話がないことは、あまり影響がないかといえば、さにあらず。実のところ、時間を知るすべが無くなってしまうという問題はありました。職場にいるときは、壁の時計なり PC の時計をみることで対応できるのですが、バスの時間などを調べたり、会社の外で時間を知りたいときなど、手段が全くなくなります。また、ちょっとした時間つぶしにネットを見ることもできないため、気分転換などが、かなり阻害されてしまうことになります。

 とはいえ、内勤が基本の状態では、時間つぶしの点が若干残る問題点となるくらいで、それ以外ではあまり問題にはなりません。特に、自家用車で移動する本日のような場合には、音楽もカーステで聞くことが出来るので、なくてもなんとかなってはいます。

 仕事に自分の携帯を使わずに済んでいるから、あまり困らないといえますね。これが、仕事で使うようになっていると、非常にまずいことになってしまうのでしょうね。それよりも、今朝の状態は、遅刻にならないようにすることのほうが、大きな問題でした(沈)。

モウ~~~始まった 2009年

 モウいくつ寝たのか、数えてみると、1週間が過ぎています。毎年、そのきらいがありますが、年末は比較的穏やかにすぎましたが、年始を迎えると、あわただしく過ぎていきます。今年も類にもれず、年始はどたばたし、買い初めとなったのは ThinkPad R31でした。セットアップもそこそこにすませ、実家へ納品しました。

 環境移行は、時間が経つほど面倒になりますね。最近は、基本デフォルトのまま使うようにしていますが、それでも一部の部分については、カスタマイズをしている部分があります。しかし、再インストールを行なうたびに、カスタマイズをしている部分が少なくなってきており、本当にごく一部のみを残すだけになりました。

 実家から回収した R40 は、Fan Error ということで、CPU ファンの交換が必要な状態です。新品で購入すればよいのはわかっていますが、初期投資を超える費用投下は、心理的な負担が大きく、中古品でまかなうこととなりました。どこまで持つかはわかりませんが、少なくとも、2年程度もってくれることを祈っています。自宅に設置しているサーバー群も、専用機は、DELL PowerEdge 600SC のみで、後は普通の PC です。それほど、重要な用途もありませんので、そこそこのスペックで十分満たされます。Vista のおかげで、XP を使うには十分なスペックのマシンが中古市場に数多く出回っており、私のような廃品回収業者(笑)には、大変ありがたい時代ですね。

 2009年は、マシンを大きく更新する必要のないまま、過ぎてほしいところですが、果てさてどうなるか。